about
THE STORY OF ITOTSUZURI
絲綴のこと
庄内刺し子は山形県庄内地方の生活文化として、江戸時代に発展した伝統文様です。
一握りの綿も実らず、海が荒れれば漁にも出られず、粥食の日々が続く生活の中、米や海産物と交換する古布を1日でも永く生かす刺し子の技術は、漁農技術に匹敵するものでした。家を守る女性たちが、こうした刺し子の技術を競い合うことで布不足を補っていた時代に生まれた文様は、日々の暮らしの糧となる身近なもの、祈り、女性の日常の世界を、自分の心や身体を包む衣類の中に再生し、その世界とともに生きるという発想力から生まれたものだと考えます。
自然を讃え、おそれ敬んだ女性たちの精神的象徴の表現から生まれた刺し子の文様。その発想力と技術力を慈しみ、現代の身の回りのものに再生し、これまでとは違う暮らしや、あたらしい価値を創造することを目指します。
モノが溢れている現代、消費から循環型社会に向けてのモノづくりの在り方を見つめ、制作に取り組んでいます。
THE NAME OF ITOTSUZURI
絲綴のなまえ
「秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く」
古今和歌集の歌の一つで、秋の藤袴の花が咲いた風情を、袴の”ほころび”にたとえ、そのほころびを冬に備えて「ツズリサセ(綴れよ、刺せよ)」とキリギリスが鳴いている、という言葉遊びの歌です。
鎌倉時代以降、キリギリスをコウロギと呼ぶようになり、秋にコウロギが鳴くようになると、その鳴き声を「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」と聞きなして、冬に備えて着物のほころびを縫い直していました。
自然の中の虫の声までも、生活の中に取り入れていたその想像力や感性が、「絲綴」という名前の中に込められています。